2013年10月29日火曜日

バルミューダのRain~ヤカンで給水するという発想~

自然な風に近い扇風機で成熟した家電業界に一石を投じた
家電ベンチャー、バルミューダから、ヒーターと加湿器が発売された。

加湿器の名はRain。

甕のような形状が特徴的だが、なんといってもユニークなのは、給水タンクがなく、
上からヤカンなどで水を注ぐ、という給水方法である。

これをみたときに、筆者は「わかる!!」と思ってしまった。
空気清浄機や加湿器のタンクに水を入れて運ぼうとして、
ボトボトって水がしたたり落ちた経験、皆さんありません?
だいたい、普通の空気清浄機とかって、タンクのサイズからして水を注ぎにくい。
あんな長細いの、普通のキッチンのシンクには斜めにしないと収まらないのだ。
あと、向きを間違えたり、キャップの締め方がゆるいとボトボトっていきますよね・・・。

そしてこのRain。(ま、これは空気清浄機じゃなく、加湿器だが)
「水を持ち運ぶのはタンクじゃなく、ヤカンの方が簡単・便利に決まっている」
とバルミューダ社の寺尾社長。おっしゃるとおりである。

この社長の寺尾さんの経歴も、ユニークである。
元はミュージシャンだったが、うまくいかず、その後、モノ作りの世界に
飛び込み、独学で設計、製造を学んだという。

そのキャリアからか、この「ヤカン」発想にしても、
「家電業界にどっぷりつかっていないからのこその商品開発」だな、と思う。
アマダナなどの「デザイン家電」というくくりで語れない、チャレンジ精神というか、斬新さを感じる。
アマダナはおしゃれだが、社長が東芝出身であることからしても、どこか「家電業界」
のにおいがするからだ。

理想の扇風機って、自然の風だよね。
水を持ち運ぶなら、ヤカンが一番だよね。

凝り固まった枠の中での、チビチビとした、機能、性能競争の「家電業界発想」とは
一線を画したものがそこにはある。
筆者がいいな、と思うのは、そこに消費者の生活場面がリアルに想起できる点だ。

今回発売された加湿器とヒーターには、UNIAUTOというスマホアプリに
対応している。このアプリは外から、ヒーターや加湿器のオン、オフができる、というもの。

家に帰って、「あーーー、さむさむっ」とエアコンやヒーターをつけるけど、
なかなか暖まらなくって・・・という場面、ありますよね。

遠隔制御の機能自体は、従来のエアコンでもついているものもあった。
だが、このUNIAUTOは一歩先も見据えていて、ネットにつながったスマホだからこそ、
将来的には、その製品が置いてある場所や天気予報情報をもとに「必要な時に、必要な分だけ
動いてくれる」ようになることも構想している、という。

加湿器Rain46,800円。
扇風機グリーンファンほどのヒットになるかどうかはこれからだが、
バルミューダのモノづくりにはこれからも注目していきたい。

2013年10月20日日曜日

30代以下の営業パーソン

筆者は現在、30代後半だが、
いま、営業の一線で働いている人のうち、20代、30代の「若手」がかなりの比率を占めるはずだ。
バブル以降に青春を過ごした世代である。
「営業」という職種で考えると、この世代は不幸であり、ラッキーでもある。
不幸といったのは、経済全体が停滞しており、モノが売れない、という時代であることが一つ。
もう一つは、実は社内に「営業としての良い見本」が少ない、という点である。
同じ会社で「営業」といっても、上司や先輩が営業の一線で働いてた時とはかなり前提が違う。
営業の現場の方々と接していると、世代・年代による違いを感じることが多い。
(しかも、だいたい、どこの会社も同じような構造になっている)

50代以上のベテランには、昔ながらの体力、人間関係の
「勘と経験と根性」(3K)タイプが圧倒的に多い。
経済が右肩上がりに成長していた時代は、ある種、体力や人間関係の世界であった。
(たぶん)
この世代の人は自社商品についてよく知っているし、交渉力や押しも強い。
経済が伸びていたので、問屋と小売り、問屋とメーカーの間で、
その果実をいかにわけあうかが重要だったからである。
しかし、「得意先に対する提案を考えてください」というと、思考がストップする。
(そして、パソコンも苦手である。)

お兄さん、お姉さん世代の40代は、できる人はできるのだが、
失礼ながら、「中途半端で残念な人」が少なくない。
バブル崩壊以降に社会人になったが、先輩たちの多くは「イケイケどんどん」世代で、
「モノが売れない時代」への対応を誰も教えてくれなかった(推測)。
一方で、インターネットも十分には普及しておらず、
顧客を訪問し、カタログやチラシを持って商品・サービスを紹介する
ことにそれなりに意味があった

そこで、割とコツコツと得意先を訪問して、説明や先方からのオーダーはある程度
ソツなく対応できるが、こちらから「仕掛ける」ようなことは苦手なタイプが多いように思う。
そもそも環境的にモノが売れない時代でキャリアをスタートしてるいるので、
ベテランほど人間力に期待をしてもいない。

だから、今の20代や30代にとって、上司や先輩が、
十分な「見本」になりえるかというと、難しいケースが多いのである。
低成長、モノが売れない、デフレ、そして情報の流通コストが劇的に安い、
そういう環境は我々の上司や先輩の世代がかつて経験したことが
ないものなのである。


しかし、それだけに「営業」という仕事の面白味もかつてないほど、大きくなっている、
と言えると思う。
それが「ラッキー」といった意味である。

自分次第で、「普通にいったら、伸びない売上」が伸びたりする。
「商品を紹介する」だけでは売れないので、「企画」や「提案」が大事になっている。
その分の、個人の努力・工夫の余地も大きい。クリエイティビティが発揮できる。

PBの提案やビジネススキーム自体の提案など、
「商品を紹介する」以上に、社内を巻き込んで、「プロデューサー」や
「プロジェクトリーダー」的な仕事もできたりする。

条件の交渉ではなく、
「いかに、パートナーとして共同でビジネス成果を出せるか」
という得意先との前向きな議論に時間がさける。
顧客側も、「売れない(伸びない)のが普通」なので、
売れる企画を提案され、それが成果に結びつくと本気で感謝してくれる。

(売れた時代は誰のおかげで売れているのか、よくわからない)

要は、そういう
「普通にしていたら、全然売れないけど、やりようによってはちゃんと売れる」
という環境を楽しめるか
どうかだと思う。
同じ仕事をやるなら、楽しまなければ損である。

2013年10月9日水曜日

営業とはクリエイティブな仕事である(2)

情報の流通コストが劇的に下がり、
ビジネス成果を創造するクリエイティビティこそが営業に求められる
ものになっている。

余談だが、この話の文脈で、私が職業としての先行きを心配する
業種の一つが製薬業界のMRである。
その名も「医薬情報担当者であり、医師を訪問して、
医薬品に品質、有効性、安全性に関する情報を提供したり、
収集したりする仕事
である、とされる。
要するに、ドクターに対して、自社の薬の採用をあの手この手で働きかける仕事なわけだが、
表向きの「情報提供」という部分に関して言えば、
情報の流通コストの劇的な低下のあおりをモロに受けそうである。
「情報の伝達」という手段だけに注目すれば、「人」ほど
高コストのチャネルはないからだ


医師向けのポータルを運営する超高収益企業エムスリーの決算資料(2012年度)に、
これの裏付けとなる面白いデータが載っていた。
製薬業界側がかけるマーケティングコストのうち、
MRにかかわるものは、実に1兆4,000億円で92%を占める。
国内6万人と言われ、その多くが高給取りであるので、納得の数字である。
一方、医師側が情報収集をどのような手段で行っているかを
「時間」でみたときに、上位が学会・研究会・雑誌などで44%、
ついで、インターネット39%、MRからは何とわずかに17%に過ぎないらしい。
詳しくはこちらの9ページ
http://corporate.m3.com/ir/library/presentation/pdf/20130425_03.pdf

あくまで「時間」なので、その少ない面談時間の「濃さ」はあるだろうが、
MRという仕組み自体が、効率的でないのは誰の目にも明らかである。
今のところ、
「エムスリーのMR君を活用する代わりにMR人財を大量整理」
みたいな製薬会社はないようだが・・・。
そもそも利益率が高い製薬会社だからこそ、
これだけの人員を抱えていられる、ということなのだろう。
10年後に「データサイエンティスト」なる職業が普及しているかどうかも
あやしいが、MRという職業が今と同じくらいの規模で存在しているかどうかも
謎であるかもしれない。

営業とはクリエイティブな仕事である(1)

営業ってクリエイティブな仕事だと思う

高度成長期やバブル時代がどうだったかはわからないが、少なくとも
30代後半の筆者が知りうる限りはそうである。

営業は言うまでもなく、モノ(およびサービス)を売る仕事だ。
※ここでいう「営業」は、産業財であれ、消費財であれ、基本的に企業や法人を対象とする
 法人営業をイメージしている。「個人向けの販売」は、これとは少し様相が異なるからである。
 これはまた別の機会に書いてみたい
しかし、かつてはモノ・サービスを売ることに付随して、色々とやることがあった。
ざっと考えただけども、
1)商品の配送(商品が物理的なモノの場合)
2)注文の受付
3)集金
4)商品情報の提供…カタログの配布や新商品情報の提供など
といったものだ。

今日、これらの付随業務の多くは、「営業」以外のものにより置き換えられている。
1)の配送も物流網の発達で、販売と配送を分けている(配販分離)企業は多い。
2)も単に注文を受け付けるだけであればWebなどの電子的手段が普及している
3)の集金を営業が担っていることも少ないだろう
そして、もっともインパクトが大きいのは4)である。
1990年代後半以降、インターネットの普及に伴って、情報の流通コストは劇的に下がった。
別に営業マンにチラシやカタログを持ってきてもらわなくても、単純な情報なら
Webやメールで入手が可能になった。

それにもかかわらず、相変わらず、一方通行に自社の商品・サービス情報を届けることが
営業の大きな仕事だと勘違いしている人が多い気がしてならない。
最悪なのは、「自社で新発売だから」という理由で顧客のところを訪れ、
流暢な、つまり通り一遍で他でも説明しなれたカタログ情報をとうとうと語るような営業担当者だ。
こんな担当だったら、仮にカバンを白いハンカチの上に置こうが、毎回2分のアポなし
訪問の回数を重ねられようが、筆者は買う気になれない。
人ほどコストの高い情報伝達チャネルはない。情報を右から左に流すだけなら、
メールやWebで十分なのである。

今の時代において、営業がやるべきことは、いわゆる「提案」や「企画」である。
顧客のビジネス成果に貢献する企画を練り、その実践をいかにサポートできるか、
営業の役割はそこに尽きる。

例えば、今はどこでも大手コンビニで挽きたてのコーヒーが飲める。
コンビニからのオーダーかもしれないが、仕掛けたのが珈琲やマシンの営業だったとしたら、
ものすごい企画である。周辺のデザート等も含めて、これまでにない新たな売上を作り出して
いるからだ。
ドラッグストアでは、いつの間にか、医薬品、日用品、化粧品に加え、食品やつけまつ毛
のような化粧雑貨など、実に多くの商品が並んでいる。これも卸や各種メーカーの営業が
ドラッグの新たな品揃えとして、提案を行った結果かもしれない。
売上をオンするだけではない。ITの各種システムで、コストダウンを実現することもそうだし、
LEDのような省エネ設備の導入も一つの企画である。

特に価値が大きいのは、
「その営業担当者がいなかったら、存在しなかったであろう成果を
顧客と自社にもたらすこと」だ。

現代において、営業とはクリエイティブな仕事である。
逆に言えば、クリエイティブでない営業担当者は要らない。営業は、基本的に正社員で、
会社から見てもそれなりの給料を払っていることがほとんどだからである。
人という高いコストを払っているからには、他で代替できない付加価値の高い
仕事をしなければ、いずれ社内に居場所はなくなってしまうだろう。

2013年10月1日火曜日

捨てることの大切さ ”俺のフレンチ・イタリアン訪問記”


先日、遅ればせながら大阪に初出店の「俺のフレンチ・イタリアン」にいってきた。
個人的には、ここのビジネスは外食ビジネスにおける
チェーンオペレーション、回転寿司、食べ放題バイキング
に次ぐレベルの画期的な「発明」だと思っている。
9月半ばの平日夜だが、噂にたがわぬ人気ぶりで、
18時半頃から並び始めて入店できたのは20時だった。

客層は、結構若い。1時間行列+立ち飲み・立ち喰いは腰痛持ちのおじさんには無理だろう)
若い学生カップル、20代~30OL40代までのサラリーマングループといった感じ。

待っている間も、スタッフから、「今ならんでいる方から先着10組さま」
ということで、「仕入原価2,000円のアワビのポワレ1,980円」を勧められる。
「並んだ甲斐があったよね」と感じさせるサービスの一つだろう。
おそらく、他の客にもこの種の特別サービスメニューは用意しているに違いない。

入店?してみてまずびっくりしたのが、そこが完全に「外」=屋外であることだ。
松竹角座前の広場に立ち食い用の小さい丸テーブル兼テントが並べられているだけ。
 厨房もプレハブの「仮設厨房」の趣である。店というより、フェスやイベントの屋台といった感じだ。

期待と不満も入り混じりつつ、
トマトの冷前菜、田舎風パテ、鴨と、同店の名物「ロッシーニ」
 (ステーキの上にフォアグラが載ったメイン料理)、フォアグラとトリュフのリゾット、
 例のアワビのポワレなどを注文。
 


このときに、前菜から、メイン、しめに至るまで全部オーダーしてしまったのが
失敗であることに後から気付く。
何故なら、完全に「居酒屋ペース」で、皿が運ばれてくるからである。
あっという間に、2皿のっただけでいっぱいの小さなテーブルは、
てんやわんやの状態に。仕方なく、テーブル下の荷物置きにパテなどを
避難させる。そう、普通のフレンチ、イタリアンレストランの感覚で
オーダーしてはいけなかったのである。ここはあくまで「立ち飲み居酒屋」なのだ。


 

肝心の料理だが、これは結構いける。
何せ安い。名物のロッシーニはステーキの上にフォアグラがのって1,280円である。
先日、これを真似たココスの「ハンバーグ フォアグラ載せ」1,380円を食べたが、
全く勝負にならない。ココスのはソースが不味い。
それに比べて、「俺の」は真っ当なフレンチである。それも、今の時代の軽やかフレンチではなく、昔ながらのガッツリ・古典的フレンチだ。

お腹もはちきれそうになって、食後にコーヒーを、と思って
ホールスタッフに呼びかけるも、「コーヒーおいてないんですよ」とのこと。
 改めて、メニューを見ると確かにない。ついでにいうと、紅茶もない。
思わずハッとした。考えてみれば、この店のビジネスにおいては、
フレンチやイタリアンと切っても切れない珈琲や紅茶はないのが必然なのである。

同社の坂本社長の著書「俺のイタリアン、俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方」にもあるように、この店の特徴は、
・「じゃぶじゃぶいい食材」を使って
 (通常ではありえない高い原価率、メニューによっては100%越え)
・ミシュラン星付店クラスの出身の「一流の料理人」が作り、
・「立ち飲みスタイル」店舗で、
・お客を「45回転」させて、
原価の高さや家賃などの固定費をチャラにして儲ける、
という飲食の常識を覆す画期的なビジネスモデルにある。
珈琲や紅茶は、おそらく、このビジネスを支える「高回転」の妨げになるのだろう。

「俺の」の真髄はまさにここにある。
 「一流の料理をを低価格で」を実現するために、
「食材と料理以外のクオリティ、お得感」以外の部分の
切捨て方」が半端ではないのだ

そもそもが、「立ち飲み・立ち食い」である。
空間の設え・ホスピタリティというか、(大阪店に限っていうと、そもそもの雨風や気温のレベルで)居心地の良さは完全に捨てている。

料理を出すペースをテーブルごとに考えないのもの「捨てている」ことの一つだ。
しかし、先述の「皿がテーブルにあふれる事態」も
見方を変えると、「本格的な料理をスピーディに出せる」という店の能力の現れともいえる。
「注文した皿がなかなか出てこないファミレス」も珍しくない中、
客を待たせないことは、それはそれですごいことだ。

この店のすべては、
「いい料理をびっくりするくらいの価格で提供すること」と、
それを支える「高回転」ということに照準を絞って組み立てられているといえる。

これと同じように「割り切って捨てる」ことで
成長している企業・サービスを思い出した。
女性専用のフィットネスで急拡大しているカーブスである。
ここには通常のフィットネスにある、お風呂やシャワー、パウダールームもない。
マシンや水泳、ヨガ、エアロビといった多様なメニューもない。
ここでの運動は数種類の機器を使った簡単なエクササイズを繰り返すだけのシンプルなものだ。
店も一等地の路面というよりも、住宅街のマンションの2階などが多い。
月々5,000円程度で、予約なしで一日30分程度の運動を何度でもできる。

その気軽さが受けて、通常のフィットネスの利用に二の足を踏む50~60代女性
の顧客を獲得することに成功している。
現在、全国で1,000店舗を超え、会員は50万人を超えるという。

カーブスも「男性顧客」「シャワー」「多様なメニュー」など、思い切って捨てている。
その結果、手頃な料金でサービス提供ができ、これまでのフィットネスを
 敷居が高いと感じていた層を取り込むことができている。

「俺の」にしても、「カーブス」にしても、
こうして目に見えて成功してから、それを説明することは簡単だ。
「言われてみればそうだよね」というコロンブスの卵みたいな話である。
問題は、最初にそれをやれるかどうか、だ。二番煎じ・三番煎じはふつう、儲からない。

何せ、捨てることは、とても勇気がいる。
普通の発想なら、
「フレンチとかイタリアンを楽しみに来る人は料理とくつろぎを求めてるんでしょ?
 椅子がないなんて」とか
「料理の後にコーヒーがないなんてありえない」
「フィットネスで汗をかくのに、シャワーは必須でしょ」
と思ってしまうだろう。実際、そういう反対意見は出たはずだ。
(社内だけではなく、実際、そういう顧客もいると思う)
それを跳ね返すだけの事業への強い思いが必要で、「俺の」も「カーブス」も
 オーナー社長だからできた、という面は確実にあると思う。

が、そういう「気持ち」の部分以上に大事なことは、
「ターゲット」と「売り」が明確でなければ、何かを捨てることはできない、
ということだ。

「俺の」がターゲットとするのは、
「ゆったりしなくていいから、お得に旨いもの食べたいよね」というシーンである。
そして、「いい料理が驚きの値段で」という分かりやすい売りがある。
だから、店舗の内装も椅子も、珈琲も、手厚いサービスも思い切って捨てられる。
他に選択肢がある中、「今日は落ち着いていいもの食べたいな」というニーズや
「味はともなく、とにかく安いもの食べたい」というニーズに、「俺の」が応える必要はない、
という割り切りだ。

カーブスも「これまでフィットネスに通っていない中高年女性」
というターゲットに「気軽に運動できる場を手頃な価格で提供する」
と決めたから、シャワーを捨てることができた。
何せ、おじさんと風呂・サウナは切っても切れないから、「女性限定」だからこそできた話である。

商売を組み立てる上で、人が喜ぶであろうことを積み上げるのは実は簡単である。
ただ、それを積み重ねていくとコストが膨れ上がっていく。
その発想で「いいものを安く」提供しようと思うと、結局、規模を追求して
スケールメリットを出すしかない。が、それとて限界がある。
また、少しでも多くの顧客を取りたいという誘惑に駆られ、
結果として、八方美人の全方位型で、どこにでもある中途半端な商品・サービス
になってしまうという罠にも陥りがちである。

そうではなく、ターゲットと売りを絞り、何かを思い切って捨てることで、
光るものを提供できることがあるのだ

業界の常識を覆し、色々「捨てて」いる「俺の」だが、
おきて破りだからといって必ずしもハイリスクビジネスではないというところもミソである。
店の広さをおさえ、回転で勝負する=初期投資が少ないということだからだ。
メニューの原価率なんて後からいくらでも変えられるのである。

特に、大阪店の「仮設」加減はすごい。
この屋外っぷりは真冬が来たらどうするんだろうかと思ったが、
もしかすると、「真冬になったら閉めればいい」ということなのかもしれない。
「けち」の多い大阪市場で「俺の」のモデルが成り立つか否かの実験場という印象を受けた。
 
店舗のコンセプトは大胆なのに、そこは手堅い。
このバランス感覚はさすがである。