先日、遅ればせながら大阪に初出店の「俺のフレンチ・イタリアン」にいってきた。
個人的には、ここのビジネスは外食ビジネスにおける
チェーンオペレーション、回転寿司、食べ放題バイキング
に次ぐレベルの画期的な「発明」だと思っている。個人的には、ここのビジネスは外食ビジネスにおける
チェーンオペレーション、回転寿司、食べ放題バイキング
9月半ばの平日夜だが、噂にたがわぬ人気ぶりで、
18時半頃から並び始めて入店できたのは20時だった。
客層は、結構若い。(1時間行列+立ち飲み・立ち喰いは腰痛持ちのおじさんには無理だろう)
若い学生カップル、20代~30代OL、40代までのサラリーマングループといった感じ。
待っている間も、スタッフから、「今ならんでいる方から先着10組さま」
ということで、「仕入原価2,000円のアワビのポワレ1,980円」を勧められる。
「並んだ甲斐があったよね」と感じさせるサービスの一つだろう。
おそらく、他の客にもこの種の特別サービスメニューは用意しているに違いない。
入店?してみてまずびっくりしたのが、そこが完全に「外」=屋外であることだ。
松竹角座前の広場に立ち食い用の小さい丸テーブル兼テントが並べられているだけ。
厨房もプレハブの「仮設厨房」の趣である。店というより、フェスやイベントの屋台といった感じだ。
期待と不満も入り混じりつつ、
トマトの冷前菜、田舎風パテ、鴨と、同店の名物「ロッシーニ」期待と不満も入り混じりつつ、
(ステーキの上にフォアグラが載ったメイン料理)、フォアグラとトリュフのリゾット、
例のアワビのポワレなどを注文。
このときに、前菜から、メイン、しめに至るまで全部オーダーしてしまったのが
失敗であることに後から気付く。
何故なら、完全に「居酒屋ペース」で、皿が運ばれてくるからである。あっという間に、2皿のっただけでいっぱいの小さなテーブルは、
てんやわんやの状態に。仕方なく、テーブル下の荷物置きにパテなどを
避難させる。そう、普通のフレンチ、イタリアンレストランの感覚で
オーダーしてはいけなかったのである。ここはあくまで「立ち飲み居酒屋」なのだ。
肝心の料理だが、これは結構いける。
何せ安い。名物のロッシーニはステーキの上にフォアグラがのって1,280円である。先日、これを真似たココスの「ハンバーグ フォアグラ載せ」1,380円を食べたが、
全く勝負にならない。ココスのはソースが不味い。
それに比べて、「俺の」は真っ当なフレンチである。それも、今の時代の軽やかフレンチではなく、昔ながらのガッツリ・古典的フレンチだ。
お腹もはちきれそうになって、食後にコーヒーを、と思って
ホールスタッフに呼びかけるも、「コーヒーおいてないんですよ」とのこと。
改めて、メニューを見ると確かにない。ついでにいうと、紅茶もない。
思わずハッとした。考えてみれば、この店のビジネスにおいては、フレンチやイタリアンと切っても切れない珈琲や紅茶はないのが必然なのである。
同社の坂本社長の著書「俺のイタリアン、俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方」にもあるように、この店の特徴は、
・「じゃぶじゃぶいい食材」を使って
(通常ではありえない高い原価率、メニューによっては100%越え)
・ミシュラン星付店クラスの出身の「一流の料理人」が作り、
・「立ち飲みスタイル」店舗で、
・お客を「4~5回転」させて、
原価の高さや家賃などの固定費をチャラにして儲ける、
という飲食の常識を覆す画期的なビジネスモデルにある。
珈琲や紅茶は、おそらく、このビジネスを支える「高回転」の妨げになるのだろう。
「俺の」の真髄はまさにここにある。
「食材と料理以外のクオリティ、お得感」以外の部分の
「切捨て方」が半端ではないのだ。
そもそもが、「立ち飲み・立ち食い」である。
空間の設え・ホスピタリティというか、(大阪店に限っていうと、そもそもの雨風や気温のレベルで)居心地の良さは完全に捨てている。
料理を出すペースをテーブルごとに考えないのもの「捨てている」ことの一つだ。
しかし、先述の「皿がテーブルにあふれる事態」も
見方を変えると、「本格的な料理をスピーディに出せる」という店の能力の現れともいえる。
「注文した皿がなかなか出てこないファミレス」も珍しくない中、
客を待たせないことは、それはそれですごいことだ。
この店のすべては、
「いい料理をびっくりするくらいの価格で提供すること」と、
それを支える「高回転」ということに照準を絞って組み立てられているといえる。
これと同じように「割り切って捨てる」ことで
成長している企業・サービスを思い出した。
女性専用のフィットネスで急拡大しているカーブスである。
ここには通常のフィットネスにある、お風呂やシャワー、パウダールームもない。
マシンや水泳、ヨガ、エアロビといった多様なメニューもない。
ここでの運動は数種類の機器を使った簡単なエクササイズを繰り返すだけのシンプルなものだ。
店も一等地の路面というよりも、住宅街のマンションの2階などが多い。月々5,000円程度で、予約なしで一日30分程度の運動を何度でもできる。
その気軽さが受けて、通常のフィットネスの利用に二の足を踏む50~60代女性
の顧客を獲得することに成功している。現在、全国で1,000店舗を超え、会員は50万人を超えるという。
カーブスも「男性顧客」「シャワー」「多様なメニュー」など、思い切って捨てている。
その結果、手頃な料金でサービス提供ができ、これまでのフィットネスを
敷居が高いと感じていた層を取り込むことができている。
「俺の」にしても、「カーブス」にしても、
こうして目に見えて成功してから、それを説明することは簡単だ。
「言われてみればそうだよね」というコロンブスの卵みたいな話である。
問題は、最初にそれをやれるかどうか、だ。二番煎じ・三番煎じはふつう、儲からない。
何せ、捨てることは、とても勇気がいる。
普通の発想なら、
「フレンチとかイタリアンを楽しみに来る人は料理とくつろぎを求めてるんでしょ?
椅子がないなんて」とか
椅子がないなんて」とか
「料理の後にコーヒーがないなんてありえない」
「フィットネスで汗をかくのに、シャワーは必須でしょ」
と思ってしまうだろう。実際、そういう反対意見は出たはずだ。(社内だけではなく、実際、そういう顧客もいると思う)
それを跳ね返すだけの事業への強い思いが必要で、「俺の」も「カーブス」も
オーナー社長だからできた、という面は確実にあると思う。
が、そういう「気持ち」の部分以上に大事なことは、
「ターゲット」と「売り」が明確でなければ、何かを捨てることはできない、
ということだ。「俺の」がターゲットとするのは、
「ゆったりしなくていいから、お得に旨いもの食べたいよね」というシーンである。
そして、「いい料理が驚きの値段で」という分かりやすい売りがある。
だから、店舗の内装も椅子も、珈琲も、手厚いサービスも思い切って捨てられる。
他に選択肢がある中、「今日は落ち着いていいもの食べたいな」というニーズや
「味はともなく、とにかく安いもの食べたい」というニーズに、「俺の」が応える必要はない、
という割り切りだ。
カーブスも「これまでフィットネスに通っていない中高年女性」
というターゲットに「気軽に運動できる場を手頃な価格で提供する」という割り切りだ。
カーブスも「これまでフィットネスに通っていない中高年女性」
と決めたから、シャワーを捨てることができた。
何せ、おじさんと風呂・サウナは切っても切れないから、「女性限定」だからこそできた話である。商売を組み立てる上で、人が喜ぶであろうことを積み上げるのは実は簡単である。
ただ、それを積み重ねていくとコストが膨れ上がっていく。
その発想で「いいものを安く」提供しようと思うと、結局、規模を追求して
スケールメリットを出すしかない。が、それとて限界がある。
また、少しでも多くの顧客を取りたいという誘惑に駆られ、
結果として、八方美人の全方位型で、どこにでもある中途半端な商品・サービス
になってしまうという罠にも陥りがちである。
そうではなく、ターゲットと売りを絞り、何かを思い切って捨てることで、
光るものを提供できることがあるのだ。
業界の常識を覆し、色々「捨てて」いる「俺の」だが、
おきて破りだからといって必ずしもハイリスクビジネスではないというところもミソである。
店の広さをおさえ、回転で勝負する=初期投資が少ないということだからだ。
メニューの原価率なんて後からいくらでも変えられるのである。
特に、大阪店の「仮設」加減はすごい。
この屋外っぷりは真冬が来たらどうするんだろうかと思ったが、
もしかすると、「真冬になったら閉めればいい」ということなのかもしれない。
「けち」の多い大阪市場で「俺の」のモデルが成り立つか否かの実験場という印象を受けた。
店舗のコンセプトは大胆なのに、そこは手堅い。
このバランス感覚はさすがである。
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